決勝登板回避になぜ賛否?
“令和の怪物”佐々木の故障予防の決勝登板回避に賛否(THE PAGE) - Yahoo!ニュース
不思議なことにこの件で賛否があるという。
賛成は理解できるが、なぜ否定なのか?
何かを始めた時には色々な条件がそろうから始めるはずなのだが、
その条件が変わってしまっても変えられない、という話はよく聞く。
一度ダムを作りだしたら止められない、とか。過疎地帯に行けば分かるが
防砂ダムなどは下流の住民を守るために作る、という前提があるが、下流に
一人も人が住んでなくても作られるケースが後を絶たない。
勿論、法的に穴をくぐり抜けているだけで、完全に詐欺なのだが、止められない。
そういえば、赤字を垂れ流して工場を閉鎖するしかないのに、昼休みのオフィスの
照明を落としていただけ、という自動車会社もあった。コスト削減だそうだ。
当然倒産しかけて外人社長が即座に向上を閉鎖したおかげで倒産を免れた。
竹槍で戦闘機を落とす訓練をしていた国もあるという。それでも戦争が終わるまで
町内集まって繰り返していたらしい。非効率的だとか、思わなかったのか?
誰もやめられなかったというのも不思議な話だ。
こういったことに共通するのは上層部というかマネジメントというか、
変える権限を持つ人間に今までやってきたことを辞める能力がない、
ということだ。
記事にあるように過去に投げすぎの問題は起こっていた。であれば、投げすぎ故障を
防ぐために今までやってきた、もしくは当たり前だと思っていたいくつかのことを
止めるのが当然だが、これができていない。やめる権限を持つ人間なり組織はあるようだが既得権益を優先している、ということだろう。
考えてみれば、過去しか誇れない会社を税金投入でゾンビ化させた例はいくつもある。
逆にGAFAみたいなのはまるで出てこない。未来を食いつぶしてでも何も変えたくないのか?
いい加減、賛否などが話題にならずに、なぜ変わるのにこんなに時間がかかったのか?
ということが話題になるべきだと思うが。